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巻末通信

歴史の天使

▼「『新しい天使』と題されているクレーの絵がある。それには一人の天使が描かれており、天使は、彼が凝視している何ものかから、今にも遠ざかろうとしているように見える。彼の眼は大きく見開かれていて、口は開き、翼は拡げられている。歴史の天使はこのような様子であるに違いない。彼は顔を過去に向けている。僕らであれば事件の連鎖を眺めるところに、かれはただ破局(カタストローフ)のみを見る。その破局は、休みなく瓦礫の上に瓦礫を積み重ねて、それを足元に投げ出して行く。たぶん彼はそこに留まって、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集め、組み立てたいのだろうが、しかし楽園から吹いてくる強風が彼の翼にはらまれるばかりか、その風の勢いが激しいので、彼はもう翼を閉じることができない。強風は天使を、彼が背中を向けている未来の方へと、否応なしに運んで行く。その一方で彼の眼前の瓦礫の山は、天に届くばかりに高くなる。僕らが進歩と呼ぶものは、この強風なのだ」(『歴史哲学テーゼ\』)。ベルリンを追われた亡命ユダヤ人ヴァルター・ベンヤミンは、折り重なる花弁のような丸天井に被われたパリの国立図書館で、ヨーロッパ文明の破局を予感しつつ、絞り出すように最後の思念を書き残す。二十世紀は革命と戦争の世紀であった。その合間を縫うようにして生きたベンヤミンにとって、歴史とは人類の華々しい文化的発展として手放しで喜べるものではない。一皮むけばそこには、抑圧され、忘却された過去が埋葬されており、進歩という美名の下に瓦礫が絶え間なく積み重ねられて行く。それを見ているのは歴史の天使である。この新しい天使は、今という時に留まって、破壊され葬られた過去の断片を寄せ集め、意味あるものへと救済しようとする。しかし、形ばかりの進歩を求める強風が彼の翼をふくらませ、その仕事をさせずに彼を追い立てるのである。

▼闇に葬られた語られざる過去を救済すること。ベンヤミンはそこに、批評の力によって思索する者の使命を見た。この着想は相当早くから彼を捉えていたものであるらしい。若き日にクレーの版画「新しき天使」を手に入れた彼は、そこに批評活動の本質を表現する寓意を見て取った。最初の批評雑誌を「新しき天使」と命名しようしたほどである。ユダヤ人ベンヤミンにとってこの新しき天使の寓意は、ダニエル書一二章と重なるものである。そこでは大天使ミカエルが終わりの時に現れ、神の審判をもたらす。その時歴史は決済され、苦難の中に捨て置かれた者たちに救いがもたらされる。

▼こう書いてくると、多少ともベニヤミンを知る者は奇異に思うに違いない。彼は歴史的唯物論に共鳴する立場にいたのではなかったかと。ところが遺稿となったこの『歴史哲学テーゼ』には、おもしろい寓喩が出てくる。ロボットが作られた。相手がどんな手を打ってきても確実に勝てるチェスの名手である。だが本当はせむしの小人が隠れていて、紐で人形の手を操っている。「歴史的唯物論」と呼ばれる人形は、いつでも勝つことができるのだが、それはただ、「小さくて醜い、その上、人目をはばからねばならない神学」がひそかにそれを動かしている時にだけ、成功するのである。文字通りの意味での神学ではないだろうが、それでも歴史を動かすものは単なる経済的な下部構造ではなく、歴史を超えたところから与えられる歴史の理念や目的についての意識であるという洞察である。しかも、歴史は救済されなければ、そもそも歴史に意味はない。つまり、「救済の神学」なしには歴史哲学は完結しないのである。たとえその神学が、小さくて醜い、人目をはばかるものに見えたとしても。

▼ベンヤミンは、夢のように甘美な少年の日々を回想する。「おお狐色に焼けた凱旋記念塔よ、幼き日々の冬の砂糖をまぶされて」(『ベルリンの幼年時代』)。雪に埋もれたベルリン。瓦礫の中から復興した街。広場の中央にライトアップされた時計台が浮かび上がる。夜の十二時。新しき天使は舞い降りただろうか。それとも、瓦礫を隠して救済なき進歩を続ける文明を眺めながら、音もなく立ち去っていっただろうか。。

(TH生)


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