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巻末通信

グーテンベルクの銀河系

▼暑い日差しが容赦なく照りつける中、小さな印刷所の建ち並ぶ飯田橋界隈を抜け、トッパンホールにヴァティカン教皇庁図書館秘蔵の聖書写本展を見に行く。紺碧のブルーと薄紅色を基調にした十三世紀ボローニャの挿絵入り写本、あるいは十五世紀フェッラーラ公ボルソ・デステが宮廷図書館に納めさせた、あでやかな彩色の細密画入り聖書など、まさに世に一冊しかない緻密な手作りの逸品で、その豪華さに思わず息を呑む。頁にくまなくびっしりと書き込まれた文字もまたハンドメイドの芸術である。

▼その展示の一角に、小さく薄い黄ばんだパピルスがあった。中世の豪華な写本を見た目には稚拙な印象を与えるギリシア語の走り書きで、ペトロの第一の手紙の写し。その末尾に「書く者、読む者に安らぎがあるように」と記されている。持ち歩きできる小冊子として編まれた聖書の部分的集成だったようで、旅人はこれを写し携えて、危険な旅路の途中でも、御言葉によって慰めと安らぎを得ることができたのである。迫害の下、回覧も容易端が切れて黄ばんだ一片の紙を見ていると、ペトロ書簡を文字通り、自分に当てられた手紙のようにむさぼり読んだ当時の人々の姿が思い浮ぶ。

▼ところがこの聖書が中世において民衆から遠ざけられてしまう。ラテン語聖書の写本は大部で重い。それを書き写す仕事は修道院内の写字生の日課で、できあがった写本は図書館の中に鎖で止められて、高位の聖職者にならないと自由に閲覧できなかった。民衆は、聖書の知識を独占している聖職者の口からしか聖書の話を聞けなかったし、後は聖堂内のステンドグラスで聖書の絵物語をたどるしかなかった。その聖書を再び民衆のもとに取り戻したのがルターである。ドイツ人の魂を形作ったと言われるほど、その言葉は民衆の心にじかに染み通った。しかしこのようなルターの試みも、もしそれに先立って活版印刷技術が確立していなかったとしたら、それほどの影響力を持つものにはならなかっただろうと多くの文明史家は指摘する。先立つ技術革新とはグーテンベルクによる金属活字の発明である。いわゆるグーテンベルク「四二行聖書」はラテン語のもので、一四五二年から最初の三年間で一八○部印刷された。この印刷技術が誕生して約七十年の後、ルター訳聖書が世に著され、民衆が直接神の言葉に接することができるようになったのである。

▼グーテンベルクの活版印刷術は、人類の思想形成にとっても大きなメディア革命であった。それは「読書する公衆」を産み出した。特権階級の知識の占有に対して読書する個人が近代市民社会の自由な主体となる。M・マクルーハンの表現を用いれば、近代人は活字を読む行為を通してまさに「グーテンベルクの銀河系」の中心にいる存在となった。

▼しかしこの銀河系が今や崩れつつある。電子メディアが加速度的に進行し、二進法演算の作り出す仮想現実の画像で遊ぶコンピュター・キッズたちを活字離れへと誘う。端末を通してだけ外界とコミュニケーションを取る青年は、もはや情報を操作する主体ではなく、アクセスする自分自身の頭が電脳社会の一部と化していることに気づかない。しかしこの事態がただちに「グーテンベルク銀河系の終焉」(N・ボルツ)を意味するのかどうか、なお慎重に考えなければならない。言葉とはいったい何なのか。切実な思いや考えを伝える媒体として、それは単に無機的な記号に還元できるものなのか。その場合に詩とはいったい何なのか。言葉の力をどう取り戻していけるのか。言葉そのものの持つ力をあまり軽く見積もるべきではない。

▼かつてグーテンベルクの生家を訪ねたことがある。南北を貫くライン川の要衝の町マインツにある。活版技術はここで生まれたからこそすぐにヨーロッパ全土に広まった。ロマネスクの大聖堂の前にたたずんで、中世から近代へと時代を動かした一人の人物について思いを馳せた。ここからもう一つのロマネスク聖堂のあるウォルムスへと、国会に召喚されたルターが決死の覚悟で馬車を走らせた。ライン川沿いのぶどう畑の間に昔からの街道がある。当時の道のりで二日という記録がある。

(TH生)


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