今、わたしたちに問われていること

井ノ川 勝



一 改革長老教会協議会の設立において問われたこと
 日本基督教団改革長老教会協議会は一九八五年四月二九日、鎌倉雪ノ下教会の新会堂で開催された第一回全国協議会において歩みを始めました。一〇九教会三四五名の教師、長老、執事が出席しました。改革長老教会協議会が誕生した背景には、日本基督教団の危機的状況と共に、日本伝道の危機的状況がありました。閉塞状況に陥った日本伝道に、風穴を開けて新たな歩みを切り拓きたいという切なる祈りがありました。主題講演をされた当時鎌倉雪ノ下教会の加藤常昭牧師が、こういう言葉で講演を結ばれました。「本日は天皇誕生日の祝日です。昔ふうにいえば天長節であります。植村正久牧師は、このような国の祝日に教会で礼拝をしております。その是非をここで問うよりも、そのようにして、常に日本国家という存在を忘れない伝道の視点があったことを思い起こすべきであると思います。ここは鎌倉です。いわゆる古都であります。…鎌倉雪ノ下教会のかつての牧師、今年一月に九四歳で逝去した松尾造酒蔵牧師は、この古都における教会の使命を強く自覚しておられました。私どもの先輩たちは、日本のために伝道する日本人の手によって形成される日本の教会というものを、いつも追求していたのではないでしょうか。それは、今日私どもにとってどういう意味を持つか、私どもの課題として、改めて問うべきであると思っております」(『信仰告白を規範とする教会形成』三八?三九頁、日本基督教団改革長老教会協議会、一九八八年)。改革長老教会協議会が設立の時に、問われたことです。改革長老教会の歩みは、伝道者としての私の歩みと重なり合いますが、伊勢伝道、金沢伝道において、いつも鳴り響いている問いかけです。あれから三三年、甦りの主イエス・キリストから託された日本伝道の使命を十分に果たし得ていないことを、主の御前で懺悔するものです。
 第一回全国協議会において、「基本線」が採択されました。「基本信条(殊にニカイア・コンスタンティノポリス信条)が告白している信仰を規範とし、改革長老教会の伝統に立って日本基督教会が一八九〇年に制定した信仰の告白を失うべからざる信仰の遺産として継承し、日本基督教団信仰告白を承認して教会を形成する」。この「基本線」に沿って、「申し合わせ」を採択しました。その中に、この条項があります。「私どもは、各地に信仰告白の一致に基づく伝道協力組織を結成する」。ここに改革長老教会協議会が拠って立つべき信仰の原点があります

二 わたしたちが語る言葉が問われている
 改革長老教会協議会が設立当初から重んじて来た信仰告白に、「ニカイア・コンスタンティノポリス信条」(以下「ニカイア信条」)があります。日本の教会では「使徒信条」のように、十分理解され、重んじられて来ませんでした。関川泰寛牧師の指導の下、「ニカイア信条」の学びが全国各地で持たれました。その実りが、関川泰寛著『ニカイア信条講解―キリスト教の精髄』(教文館、一九九五年)となりました。また改革長老教会協議会教会研究所が「ニカイア信条」を翻訳し、礼拝で用いられるようになりました。これらは日本の教会への貴重な貢献となりました。「ニカイア信条」が告白する明晰で豊かなキリスト告白、聖霊告白は、アレイオス派との激しいキリスト論争により、公同の教会の信仰が明確になる中で、地方の諸教会の礼拝を核として成立しました。「ニカイア信条」の「生活の座」が「礼拝」にあったことは、重要なことです。その特質は「頌栄の信仰」にあります。「頌栄の信仰」である「ニカイア信条」が告白される礼拝において語られる説教もまた、「頌栄の信仰」が中心となります。そのような礼拝、説教が、神を頌栄して生きる信仰者を生み出します。そこで問われることは、今日、私たちが語る説教が、「頌栄の信仰」に貫かれた言葉となっているかどうかです。

三 現代の日本において、いかに福音を伝達すべきか

 私が伝道者として、いつも心に刻んでいる植村正久の言葉があります。一八九四年(明治二七)『福音新報』に掲載された「何故の伝道ぞ」です。「しかれども伝道の直接なるまた最も重要なる目的は霊性の亡びを救わんと欲するに在り。天下の亡びいずれかこれよりも甚だしきものあらんや。霊性をしてその本来の目的なる神に帰正せしむるは人間の最も大いなる事件にあらずや。伝道者がその本領として従事するは神の国なり、神の国を説かず、霊性の救いを唱えず、個人の霊性を愛してその安危に眠食を忘るる赤心無く、漠然としてただ徳育的社会的キリスト教を説くは何事ぞ。わが日本伝道の現状に付きて、この一事を憂うること切なり。自らも顧みて深くこれを警め、世の同志とともにイエスの伝道のごとき伝道に従事せんと欲す」(『植村正久著作集6』三八五?三八七頁、新教出版社、一九六七年)。植村正久が強調する伝道者が本領として語るべき説教は、「神への帰正」「霊性の救い」をもたらす「神の国」を直接に語ることにあります。その「神の国」の中心にある福音は、「キリストの贖罪の出来事」です(近藤勝彦著「植村正久の贖罪論」『贖罪論とその周辺―組織神学の根本問題2』一九四?二一七頁、教文館、二〇一四年)。「キリストの贖罪の出来事」を、「ニカイア信条」の「頌栄の信仰」のパースペクティヴでいかに語るかが、日本伝道の課題です。
 今年の一月、名古屋において説教セミナーが行われました。加藤常昭教師の導きの下、加藤常昭教師が編集された『わが神、わが神―受難と復活の説教』(日本キリスト教団出版局、二〇一八年)を通し、「日本の説教者たちの言葉」に耳を傾けました。一九七二年に出版された『日本の説教者たち―日本キリスト教説教史研究1』(加藤常昭著、新教出版社)の「続巻」であると、私は受け止めました。『日本の説教者たち』の序論で、どのようなパースペクティヴで日本の説教者たちの説教を考察するのかが語られています。「『現代の日本において、いかにして福音を伝達すべきか』という実践的関心によって規定されたパースペクティヴにおいて、その福音伝達の諸行為の過去・現在・将来について考察するのである。実践的課題を問うかぎりにおいて、その目は将来に向けられるが、しかし、それは、過去において、『何を』『いかに』伝達して来たか、現在において『何を』『いかに』伝達しているかを考察していくことなしにはありえない」(同上、一〇?一一頁)。説教セミナーではこのパースペクティヴで、特に、植村正久、高倉徳太郎、竹森満佐一の主イエスの十字架上の言葉、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」の説教を考察しました。そこに一貫して受け継がれている、日本の説教者たちの十字架信仰の系譜があります。

四 神が神であられることが貫かれる
 植村正久の説教は一九二三年(大正一二)三月、亡くなる二年前に富士見町教会で語られたものです(同上、四九?六〇頁)。ルターの十字架信仰「およそ人類の中で本当の死(真の罪人の死)を死んだ者は、主イエスただ一人」に立ちます。主イエスの十字架の叫びにおいて、「人間の罪悪頂点に達して、その恐ろしい凄い姿が無遠慮に現れ出た」。「罪は神と人とが断絶すること」であり、「罪のままで死なば神と縁切りになる」ことであり、「罪という刺の生えてあるままの死は手の付けられぬ恐ろしいものである」。主イエスは「人間の罪の重さ、深さ、すべてその甚だしさを感ぜられ」、「その刺の尖頭が深くその霊魂を貫き」、「しばらくの間は神の御顔を打ち目守ることも出来ず、身を陰府に落とされたかと覚えて苦痛を極めたる圧迫がその霊魂に加えられた」。カルヴァンの「十字架こそ陰府降り」の信仰が語られます。「すべてこれ何故そ」。しかし、主イエスは「神にあこがれていよいよわが神、わが神よとこれに縋り付き」、「神がますます懐かしい、ますます慕わしい」姿を示された。「神の子たる孝道の極致」がここに現れていると語ります。いかにも植村らしい主イエスへの愛を示す信仰表現です。「神はこの信仰深い、最も健気な従順な態度を嘉せられ、十字架の上から天と地とに投げかけられたようなこの『何故』ぞをお解きなった」。詩編二二編七節の「地のはては皆想出してエホバに帰り、もろもろの国の族はみな前に伏拝べし」を示し、十字架の苦痛はこの詩編が語る神に帰正し、神の前に伏し拝む結果をもたらすとして、「神の恩寵の絶頂」、「人類の救わるる唯一の道」がここにあると語ります。加藤常昭教師は「解説」で、「ここに日本の説教者が語り得た十字架の説教の頂点を見る」(同上、六六頁)と語っています。
 高倉徳太郎、竹森満佐一の説教を紹介する紙面はありません。しかし、植村正久の説教が全てを物語っています。神の御子イエスが肉体をとって人となられ、私たち罪人のために、十字架で真の罪人の死を死んでくださったことにより、神が神であられることが貫かれました。そこに神の恩寵の絶頂があり、罪人である私たちは神に帰正し、神の御前に伏し拝み、その存在と生活において神を頌栄する者とされました。植村、高倉、竹森、その全ての伝道者が、キリストの贖罪の恩寵を体験した喜びを、その存在と言葉を通して、公同の教会の「頌栄の信仰」を告白しました。私たちがそのような説教、伝道の言葉を体得しているかが、日本伝道の課題として問われています。


日本基督教団金沢教会 牧師)


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