改めて、「われわれの信仰告白」について考える

田中 牧人

はじめに

 われわれの所属する日本基督教団は、一九四一年に宗教団体法のもとに三十有余の主としてプロテスタントの教派が合同して成立した。プロテスタントの合同教会と言ってもいいような団体である。しかしながら、教会の要ともいえる信仰告白が制定されたのは、それから一三年後の一九五四年の第八回教団総会においてのことであり、しかもその信仰告白は賛美告白としての位置づけを与えられただけで、拘束性を持つものとされなかった。ここで拘束性が与えられなかったことへの良し悪しはともかく、以後信仰告白を巡る問題がその後の教団の歩みの中に大きく影を落としていることは否めない。しかし教団において信仰告白の問題が大きく取り上げられるようになったのは、教団紛争が起ってからではなかっただろうか。

 他方、われわれの教会は、即ち連合長老会並びに改革長老教会協議会に属する教会は、一八九〇年に旧日本基督教会において制定された信仰告白を遺産として受け継いで来ている。形式の上では、両者共に使徒信条に前文を加えた簡潔なものであるが、「一八九〇年告白」ではその前文が古代教会において成立したニカイア信条の持つ要素が濃厚なのに対して、「一九五四年告白」においてはそこが福音主義的な要素に取って代わられている、と言えよう。現在、連合長老会においては、この二つの告白の取り扱いについていろいろと論議が続けられているが、そもそもわれわれは教会の信仰告白というものをどのように受け入れ、理解しているのか、ここで改めて私見を申し上げたいと思うしだいである。

「基本信条に立つ」とは

 私が所属する大阪教区は、教団の縮図と言っていいくらいに様々な立場からの意見が飛び交うところである。今日の教団の状況を考えれば、それは珍しいことでも何でもない。しかしながら、そういう様々を立場の人たちも、「信仰のみ」「聖書のみ」といった宗教改革の標語だけを単純に掲げるなら、誰もそれに異議を唱えず、一致するのではないだろうか、と思うことがある。つまり、誰もが自らはプロテスタントの信仰に立っているつもりでいる、とでも言えようか。しかしながら、そこに「キリスト論」「三位一体論」といった基本信条において謳われた教理を持ち出すと、たちまち議論は紛糾し、決して一致を見ることはないであろう、と思われるのである。

 一九六二年に改正された教団の教憲においては、「一九五四年告白」が「旧新約聖書に基づき、基本信条および福音的信仰告白に準拠して」制定されたものであることが調われている。福音的信仰告白と呼べるものは、確かに世界には種々ある。これからも新しい告白がつくられて行くことであろう。そのことが「一八九〇年告白」並びに「一九五四年告白」の制定にも連なった、と言うことも出来るであろう。しかしながら、基本信条というものは、そのようにこれからも次々と新しくつくられてゆくような性格のものであろうか。むしろ、基本信条というのは既に閉じられていて、その中で、われわれはニカイア・カルケドンの路線というものに立ち得るのではないだろうか。従ってわれわれは、旧新約聖書に基づき、基本信条を土台とした上で、われわれの今日の信仰告白というものを考えなくてはならないのではないだろうか。ついでに言うと、教団においては、基本信条という名のもとに使徒信条だけがあれば、それで事足れり、という考えがあるように思われる。一九四六年に制定された教団の教憲においては、信仰告白についての具体的な名前は使徒信条しか出ておらず、後は「其の他の信条及信仰告白」という表現で済まされている。この点についても、われわれは注意をしておく必要があると思う。基本信条を使徒信条だけと捉えるとするならば、それは一八九〇年以来われわれの教会において受け継がれてきた信仰告白の重要な要素を見落とすことになるであろう。われわれにとって、基本信条とは使徒信条だけではなく、それどころか基本信条のもとにニカイア・カルケドン路線の上に立っているのがわれわれの教会である、ということを明確にしておく必要がある。基本信条ばかりではなく、信仰告白そのものに関しても、教団の「一九五四年告白(使徒信条も含まれている)」があれば事足れりというような考えもあるようであるが、基本信条に立つということは、そのような考えには与し得ない。改めて、教会の信仰告白というものを問わなくてはならないであろう。

礼拝における信仰告白の継続を

 これまで信仰告白のことで教団における問題を指摘してきたが、しかしこれは教団が成立してはじめて起ったものである、とは言い難いものを感じる。というのは「一八九〇年告白」に立っていたはずの旧日本基督教会が、教団成立に大きな責任を負っているからである。私の加盟している和歌山連合長老会には、既に創立百年以上の歴史を持つ教会が幾つもあり、旧日基時代の資料も残されている。「一八九〇年告白」はもちろんのこと、ニカイア信条さえ当時の教会が知っていたことは否定できない。しかしそれらの告白が教会の中でどれだけ生かされていたのか、ということを改めて問わなくてはならない。和歌山ばかりではなく、教団成立に際しても、はたして「一八九〇年告白」前文のニカイア的な要素がどれだけ生かされていたのであろうか。 しかし、ここで改めて教会の歴史を振り返らざるを得ない。紀元三二五年に開かれたニカイア会議は、教会の誕生(ペンテコステ)、からおよそ三百年を経ているにもかかわらず、そこで制定されたニカイア信条の教理を巡って数十年に渡る激しい論争が繰り広げられることになる。ようやく三八一年のコンスタンティノポリス会議において一応の決着は見るものの、四五一年のカルケドン会議における承認を得るまでに、更に数十年を要しているのである。そこには、二カイア・カルケドンの路線がその地位を得るまでには、かなりの年月と、その間の激しい論争を要したことが窺える。そこには、この教理を確立させるための教会の粘り強さが窺えると共に、われわれの教会にもそれが求められているように思われるのである。

 J.N.D.ケリーという学者の推測によると、ニカイアの信仰は、「会議の加工品というより、古代のおそらくは地方教会で実際に礼拝で用いられ、整えられた信条であった」ようである(関川泰寛著『ニカイア信条講解』六九頁参照)。このケリーの推測には、われわれが教会の信仰告白というものを考える上でのきわめて重要な示唆があると思われる。教会の粘り強さとは、主の御前における礼拝を続けて行くことの粘り強さである、とでも言えようか。われわれの教会は、アウグスブルク信仰告白第七条を引用すれば、「その中で福音が純粋に説教され、聖礼典が福音に従って与えられる」ことによって成立する。この教会のしるし(説教と聖礼典)は、いずれも礼拝の中で行われるものである。このしるしのもとに生きる教会の礼拝においてこそ、信仰告白もまた生かされ、また保持されて行くのではないだろうか。信仰を告白することが主を礼拝することと一体となっていなくては、信仰告白の問題は議論だけでは解決に至り得ないのではないだろうか。

おわりに

 阪神大震災以来、教団の歩みも変化を見せつつあるようである。いみじくもあの大地震が起った時、改革長老教会協議会の関西地区会は、岡山の蕃山町教会においてニカイア信条の学びをしていた。更に、その後の宣教協議会においてプロテスタント教会の代表的な信仰告白を制定したウエストミンスター神学者会議についての学びを行い、その後も近畿神学研究会においてはウエストミンスター信仰告白の学びが続けられた。改めて信仰告白についての学びが始められたように思われる。振り返れば日本にプロテスタントのキリスト教が伝えられて以来、既に百数十年になろうとしている。この年月は、ペンテコステから数えると、既に新約聖書の諸文書が成立した時代を過ぎて、エイレナイオスやテルトリアヌスといった古カトリック教会の教父の時代に入ろうかという長さである。もしかしたら、われわれの時代においても正統的なキリスト教の信仰というものが問われているのかも知れない。今日、この時代の文献も多数翻訳が出ており、改めて信仰告白について考える時期にさしかかっているように思われる。

(粉河教会牧師)


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